『東行庵(とうぎょうあん)』と言えば、高杉晋作ファンにとっては絶対に訪れたい聖地ですよね!
今回はそんな『東行庵』へ行って来ました!
東行庵の由来を分かりやすくポイントで解説
高杉晋作って誰?
高杉晋作は江戸時代末期の長州藩士。 吉田松陰が開設した松下村塾で教えを学ぶ。尊皇攘夷の思想を掲げ、奇兵隊などの諸隊を率いて、倒幕へ向けて大きく働きかけた風雲児。
彼の破天荒かつダイナミックな生き様を『動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し』と、初代総理大臣伊藤博文は表現した。肺結核の為、27歳で死去。辞世の句『おもしろきこともなき世に(を)おもしろく』は有名な句。
東行庵って何?
高杉晋作は遺言として「亡骸は奇兵隊の本拠地に近い場所に葬って欲しい」と伝えていたらしい。その遺言に従って、奇兵隊士、山縣有朋の草庵だった「無鄰菴」を、高杉晋作の愛人“おうの”へ贈った。
「無鄰菴」を曹洞宗清水山東行庵(せいすいざんとうぎょうあん)と称し、維新の革命児・高杉晋作の霊位礼拝堂として明治17年(1844)に創建。愛人“おうの”は“谷梅処”と言う名前で出家し、亡くなるまで東行庵で高杉晋作を弔った。
高杉晋作さんのお墓へお参り
お墓へは、東行庵の入り口から続く小道を歩いて行きます。とても静かで心が落ち着く雰囲気です。
小道を抜けると高杉晋作さんのお墓に到着。
「東行」は高杉晋作さんの号。
幕末を駆け抜けた風雲児は、今、どんな気持ちで世の中を見つめているのでしょうか?
高杉晋作さんお墓の横には、高杉晋作さんが最も信頼されていた福田公明さんのお墓が設置されています。高杉晋作さんよりも10歳年上で、高杉さんの良き相談役だったそうです。
大酒豪として有名で、不利な戦況の時も酒を呑みながら「騒ぐな。焦るな。」と指揮していたとのことです。
彼もまた風雲児だったんでしょうね。
幕末に散った志士たちが眠る場所
さらに奥に進むと、奇兵隊士や他諸隊士のお墓があります。幕末に亡くなった奇兵隊士や諸隊士の多くは10代、20代の青年で、亡くなった後、無縁仏となっていました。それを見かねた東行庵三世谷玉仙羽が墓地を開き全国各地から隊士の墓を集め、供養したそうです。
この墓地には奇兵隊士に支援を続けた白石正一郎さんのお墓もあります。白石正一郎さんは下関で廻船業を営んでおり、奇兵隊への支援を続けた結果、一千両の負債を作ってしまいかなり大変だったそうです…。
明治維新後は初代赤間神宮の宮司も努めました。
梅・桜・紅葉など四季折々の花の名所
東行庵は、花の名所としても有名なんです!
1〜3月 | 梅 |
2〜3月 | 椿 |
3〜4月 | 桜 |
4〜5月 | ツツジ |
6月 | 菖蒲・沙羅双樹 |
7月 | サルスベリ |
10〜11月 | 紅葉 |
特にライトアップされる紅葉は必見!
東行庵周辺の「地域共通クーポン」を使えるお店
「Go To トラベルキャンペーン」の一つとして旅行者に配布される『地域共通クーポン』を使える下関市内の加盟店はこちらの記事でご確認ください!
アクセス・地図・駐車場
アクセス | JR小月駅よりサンデンバス秋芳洞方面行き「東行庵入口」下車600m 山陽新幹線「新下関」駅で下車、タクシーで25分 中国自動車道「小月」インターより美祢方面へ5分 |
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駐車場 | 無料駐車場あり(100台) |
住所 | 山口県下関市吉田町1184 |
地図 |
まとめ
幕末好きな私にとっては、やはり聖地としてたまらないスポットです!高杉晋作さんを始め幕末を駆け抜けた志士の方々の志をしっかりと受取り、この平和な世の中を次の世代へ繋げて行きたいですね!
幕末ファンでは無い方も、季節折々の花を楽しみながら、ゆったりとリラックスするのに最高の場所です!
是非、訪れて見て下さい!