『功山寺(こうざんじ)』と言えば、幕末が好きな方はすぐにでも分かるのでは無いでしょうか?
今回は倒幕に向けて大きな流れを産み出した観光名所『功山寺(こうざんじ)』をご紹介致します!
功山寺は嘉暦2年に臨済宗の長福寺として創建され、慶安3年に長府藩祖毛利秀元の菩提寺となってから功山寺となりました。
この功山寺は、毛利元就に追われた大内義長が自刃したとも言われており、建築物だけにとどまらず、歴史的に見ても非常に重要な場所となっています。
春は桜、秋は紅葉
山門をくぐると、身の穢れが浄化されるような清々しさを感じる林となっています。
むした苔に柔らかい木漏れ陽が指し込み、静寂の中に美しさを感じられる境内です。
功山寺は季節によって様々な表情を見せてくれます。特に春の桜と秋の紅葉は県内屈指の美しさで、四季を通じて数多くの観光客が功山寺を訪れます。
境内にある威厳を放つ山門は、二重櫓造りで、安永2年(1773年)長府藩主10代毛利匡芳の命を受けて建立されました。
入母屋造り、屋根は本瓦葺。三門三戸二重門の様式を整えています。堂々とした姿は圧巻です。
最古の禅寺様式仏殿
山門をくぐると目の前に現れたのが、我が国最古の禅寺様式を残した仏殿。
元応2年(1320年)建立。入母屋造、桧皮葺き、一重裳階付き。堂内には本尊千手観音像が安置されており、昭和28年に国宝に指定されています。
お線香の匂いが程よく漂い、とても心地の良い場所です。
高杉晋作 挙兵の場所
高杉晋作は、元治元年(1865年)12月15日、正義派約80名の仲間と共にこの場所で挙兵し俗論党を打破するためにクーデターを起こします。これを回転義挙と呼びます。
高杉晋作はこの挙兵に際し、死を覚悟して遺言も残していました。吉田松陰の『生きている限り、大きな仕事が出来ると思うなら、いつまでも生きよ。死ぬほどの価値があると思ったら、いつでも死ぬべし』と言う教えの影響だと言われています。
当時、京都から落ちのびていた倒幕派の公卿7人の中の三条実美はじめ5人が功山寺に潜んでおり、晋作はこの挙兵が私心では無いことを証明するために、五卿に挨拶をした後に挙兵しました。
挙兵後、奇兵隊のほか諸隊も立ち上がり戦いに加わり、俗論党を圧倒。遂に討幕の藩論を確定させ、時代は討幕に向けて一気に動き出します。
功山寺名水
高杉晋作の像のすぐ脇に井戸があり、この水が”功山寺名水”と呼ばれています。井戸の横の看板にはこう書かれています。
武運つたなく動乱の中滅亡した大内義長が末期の安堵を得た水。幕末に功山寺に潜居中の五卿や従者、回転義挙の兵を挙げた高杉晋作はじめ諸隊士もこの名水を愛飲して挙兵の成功を祈ったのである。今この名水は絶えることなく歴史の証人として、また生命の水として、参拝に訪れる多くの人々に飲まれている。
幕末志士にあやかって、ここぞ!と言う勝負の前にこの名水を飲んで気分を高めてはいかがでしょうか?
功山寺周辺の「地域共通クーポン」を使えるお店
「Go To トラベルキャンペーン」の一つとして旅行者に配布される『地域共通クーポン』を使える下関市内の加盟店はこちらの記事でご確認ください!
アクセス・地図・駐車場
アクセス | JR下関駅からバスで約22分 JR長府駅から下関駅行きバスで約10分 バス停城下町長府下車徒歩10分 |
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駐車場 | 有料駐車場あり |
住所 | 山口県下関市長府川端1-2-3 |
地図 |
まとめ
様々な歴史の重要な舞台でもあり、建築美としても見どころ満載の『功山寺(こうざんじ)』は、秋には紅葉のスポットとしても有名です。季節を肌で感じながら四季折々の姿を楽しめるのも功山寺の魅力の一つです。
そして、高山寺がある長府エリアは当時の城下町の街並みが今も残っているので、街並みをゆっくりと散策しながら、当時の志士たちに想いを馳せてみてはいかがでしょうか?